デジタルに埋没する世で思うこと


この世はデジタルなものにあふれております。
むろんそれが悪いということでなく、むしろデジタル歓迎ではあるのですが
多少なりともアナログなものを見直すというような姿勢を身につけたいと思うわけで。
大学を出たら、モノ作りか、メッセンジャーか、職人か。
そういったものになってみたいと思うことがしばしばあります。
彼らに共通して私の目にうつるのは、「個」を確立しているということです。
周りに流されるままに、与えられた情報を取捨選択してしか生きていない私にとって、
彼らはあまりに眩しく映るような気がします。ああなってみたいとも羨望します。
あるいは、大学を出たら留学してみたい、そんな風に思うこともしばしばです。
たとえばNY,SF,ロンドン、ベルリン、ナポリ、なんだったら東南アジアでもいい。
『留学』とも言えない放浪を1年ぐらいやってみたいと思うことがたまにあるのです。
いつ言葉も通じない国に放り出されてもオロオロしない、
なんだったら無人島でだって生きてけるロビンソン・クルーソーのような大胆さ、
これは自分に足りないものの一つだと思うようになりました。
現に、私はiPhoneのガラスが割れただけで数日間狼狽しました(笑)
ケータイぶっ壊れてうろたえない人も珍しいとは思うのですが、
逆境を力に変えてゆける人は私ほどオロオロしないだろうと思うわけです。
「まーいっか」とか言って。


一度、ベトナムでパスポートを紛失した(たぶん盗まれた)ことがありました。
ただ一日、家族と離れベトナムに残ることになっただけで異様に不安になり、
ほぼ24時間ホテルで過ごし、大使館に行く際にも周囲をキョロキョロと伺い、
出発予定時刻23時の便なのに18時にはホーチミン空港に座っている自分がいました。
強い人は「なんだじゃあもいっちょ見学でも行ってみっか」とか言うのでしょうか。


モノ作りの職人も、メッセンジャーも何かを築き上げていくという点では同じです。
職人はモノを、メッセンジャーは人と人とのつながりを築き上げています。
正直私はいままで何かを築き上げてきた経験はほぼゼロに近いです。
レゴブロックのように、与えられたものの中で選び組み立てたものしかない。
「ほしい」と思うものは沢山あります。でも、それを組み立てる度胸がないのです。
「力がない」のでなく、「方法を知らない」のでなく、「度胸がない」。
ここの度胸をつけられるようなたくましさを身につけられる仕事を5年でもやったら、
私は人として一皮剥けそうなきがします。ちんこ的な意味で。